イスラエル  〜キリストの足跡をめぐる旅〜


2011年7月
イスラエルに旅行してきました。
旅の動機は、はじめに行きたかった中央アジアの国へのツアーが成立していなかったこと。ちょっと行ってみたかった中東へのツアーが成立していて、しかも一人参加OKだったこと。 その程度の軽いものでした。
今回参加したツアーは『イスラエル満喫とペトラ遺跡9日間の旅』というものでした。
私の中では、メインは以前から行きたかった「ペトラ遺跡」で、イスラエルには“マタイ受難曲とかミサ曲とか歌ってるし、聖書の世界をちょっと見てみるのもいいかな”程度だったのですが、色々と複雑な心境になることが多い旅となりました。

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《神殿の丘の外壁》
旧市街の東側の高台にある。この壁の内側にイスラム教の聖地「岩のドーム」があります。
手前は現在も発掘が続いているみたいな考古学公園。(ブルーシートはあるけど人の姿が見えないので)
紀元前1000年前の遺物が発見されているとか・・・。

旧市街にはいる糞門の近くで休憩するユダヤ人のおじさん。
おじさんの向こうには兵隊さんの姿が見える。もちろんホンマモンの銃を携帯しています。肩からさげる長いやつ。

《岩のドーム》
イスラム教の聖地。
金ぴかなのに何故「岩のドーム」なのか?それはこの建物の中にある「岩」に由来します。
その岩は、ユダヤ民族の始祖アブラハムが、息子のイサクを神にささげようとした場所と言われています。
ソロモン王、ヘロデ王が神殿を建てたのもこの場所。
その後、歴史のいろいろな経緯を経て(省略!)イスラム教徒がこの岩を覆うようにモスクを建て、コーランの記されているムハンマドの逸話にちなんで、ここをイスラムの聖地にしたのでした。

ドームの外壁は、それは緻密で美しいタイルのモザイク。
むかしは、お金を払えば中に入れてもらえたそうですが、今はイスラム教徒以外は中には入れません。

《嘆きの壁》
ユダヤ教の聖地。
神殿の丘の西側の外壁。テレビでよく見るのはここ。
みなさん、本当に真剣にお祈りをしているので、写真を撮るのが不謹慎に感じられるほど。たくさん人がいるのに静かなのでした。
祈りの場所は、男女別に分けられています。

《嘆きの壁トンネル・ツアー》 現在の嘆きの壁の地面というのは、第2神殿(ヘロデ王の時代)のはるか上になっています。
壁に沿って、かつての時代の遺跡を掘り進めており、その一部をツアーで公開しています。
一番最初は、手掘りで秘密裏に掘り進めていたそうですが、今では機械も入って大々的に作業をしていました。
今も発掘は続いており、作業現場は撮影禁止でした。工事現場のおっちゃんに注意されてしまいました。もっとも何を言ってるのかは、さっぱりわかりませんでしたけど。 これはヘロデ王の時代の遺跡だそうです。約2000年前のもの・・・。
日本は何時代・・・?

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ここからはじまる怒涛のキリスト三昧・・・。

《主の祈りの教会》
ルカによる福音書第11章、イエスが弟子に請われて主の祈りを教えたとされる教会。

聖堂の中。結構シンプルです。

回廊などのあちこちに、世界各国の言語でかかれた『主の祈りの言葉』が掲げられています。

もちろん日本語も。

《オリーブ山からエルサレムの旧市街を望む》
オリーブ山は聖書にも何回も出てきます。
岩のドームがやたら目につきます・・・。

《主の泣かれた教会》
ルカによる福音書第19章41〜44。
イエスがオリーブ山から見えるエルサレムの街を見て、その滅亡を予言して涙した場所に建てられた教会。
それにちなんで涙の形をしています。・・・涙・・かなぁ?

《主の泣かれた教会の祭壇》
祭壇の奥はガラスばりになっていて、エルサレムを望むことができます。
十字架の向こう(左下)に見えるのは、キリスト教の聖地「聖墳墓教会」

《エルサレム十字》
エルサレムで見かけた十字架。
十字軍のエルサレム遠征のときに紋章になった十字だそうです・・・。ネット調べた。

《最後の晩餐の部屋》
イエスが弟子たちと最後の晩餐となった過越の食事をしたところ。
その入り口。階段を上がって2階へ。

私たちが行った時は、その場所で、熱心に聖書を朗読しているグループがいました。なので、写真を撮るのも失礼な気がして天井の写真しかありません。
いずれにしろ、イエスの時代のまま残っているわけではなく、十字軍時代に建てたもの。・・・あたり前かぁ。
十字軍時代でも十分歴史ある建物ですが。

《ゲッセマネの園》
マタイによる福音書26章

古いオリーブの木がある庭があり、そこがゲッセマネの園と呼ばれていました。ただ今残っている庭はとても狭く、聖書の言葉のように弟子たちを残して、少し奥に行って祈るほどの場所はありませんでした。

この場所で、イエスはユダの裏切りにより捕えられ、大祭司カヤパの屋敷に連行されるのでした。

《万国民の教会》
ゲッセマネの園の横にある教会。さまざまの国からの献金により再建されたので万国民の教会と言うそうです。
祭壇の前に、イエスがそこで祈ったという岩の一部が置かれている、と地球の歩き方には書いていたけど、ちょうどミサをしていたので、祭壇には近づけず・・・。

《大祭司カヤパの屋敷にいたる道》
ゲッセマネの園で捕えられたイエスが、カヤパの屋敷に連行されたときに歩いたであろう石段。
石段そのものは、約2000年前のものであると確認されているらしいので、可能性は高い。
今は、崩れる危険もあり通れません。なんたって、2000年前ですからねぇ・・・。残っていることが奇跡です。

《鶏鳴教会》
マタイによる福音書27章
ペテロは、「鶏が鳴く前に、三度わたしを知らないと言うであろう」と言われたイエスの言葉を思い出し、外に出て激しく泣いた。

ここに、大祭司カヤパの屋敷があり、地下の牢獄につながれ最後の夜を過ごしたと言われています。
拷問を受け、真っ暗な地下牢に吊るされたそうです。
イエスが吊るされたという穴がこれです。下から見ました。
今は電気がついていますから、こんな感じですが・・・。

《鶏鳴教会》
鶏鳴教会の祭壇。
イエスが縛られ、人々から責め立てられる様子が描かれてい ます。
夜が明けて、祭司長達、民の長老たちはイエスを死刑にするため、総督のピラトに引き渡しました。

そして、舞台はエルサレムの街中へ。
“VIA DOLOROSA”へと続きます。

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