イスラエル その2 〜キリストの足跡をめぐる旅〜


“VIA DOLOROSA” 悲しみの道
イエスが、ローマの総督ピラトの前に引き出され、死刑判決を受け、ゴルゴダの丘に十字架を背負いながら歩く道が『ヴィア・ドロローサ』です。
第1留から12留まであり、ゴルゴダへの道のりで起こった出来事を示しています。
修道士や信者の人達は、それぞれの留で祈りを捧げるそうです。

・・・とはいっても、道幅が狭くて、しかも両側に土産物だけでなく、そこで生活する人たちの色んなお店がぎっしり並んでいて、風情はありません。
アラブ人のおっちゃんは、陽気に「ニーハオ!」と声かけてくるし。
「ノー、ニーハオ」と超テキトーに答えると、「ヤパン?」と聞いてくる。「あー、そうそう!」とまたテキトーに答えると、今度は「日本語で“グッドモーニング!は何というのか?」と聞くので、「おはよー」と答えると、私の後ろを歩いていたツアーの人達には、「おはよー」と声をかけてました。「オッハー」とか適当に教えてやればよかった・・・。ちっ。

今回の旅行中、他の日本人の団体ツアーには一度もあいませんでした。
イスラエルだけでなくヨルダンでも。
エジプトやシリア、リビアのことがあってから、旅行客が激減しているそうです。私たちのガイドさんも2週間ぶりの仕事だとおっしゃってました。
でも、イスラエルでは、クリスチャンの団体さん(ヨーロッパの人?)には結構会いました。色んな場所で聖書を読んだり、ミサをしたりしていました。
私たちも一応、ガイドさんが読む聖書の言葉を聞きながら、説明を受けました。

+++++++++++

《第1留 ピラトの官邸》
ピラトから死刑判決を受ける。

この道の先に、ピラトの官邸があったそうです。今は学校が建っています。
毎週金曜日に、フランシスコ派修道会がヴィア・ドロローサを行進する時は、そこから始めるそうです。
私たちはそこに行かなかったので、道の写真だけ・・・。

「VIA DOLOROSA」の案内板↓↓

《第2留 鞭打の教会》
十字架を背負わされる。
死刑の判決を受けたイエスは、ここで茨の冠をかぶせられ、鞭打たれ、自分を処刑するための十字架を自ら背負わされます。

鞭打ちの教会の内部
ステンドグラスに、そのときの様子が描かれています。(わかりにくいけど・・・)


この石畳は、当時のものと言われているそうです。↓↓

《エッケ・ホモアーチ》
135年、ローマのハドリアヌス帝が、エルサレム征服を記念して建てた3重の凱旋門の一部。
ハドリアヌスなんて、世界史の教科書以来の名前です・・・。
ここだけが、道に出ていたのだけど、家の中に続きが?
あるわけないよなー。

《第3留 最初につまづく》
イエスが十字架の重みに耐えかねて、最初につまづいた場所

《第4留 聖母マリアがイエスを見つめる》
マリアが、十字架を背負ったイエスを見たとされる場所。

もちろん、こんな風に手をとりあったはずはなく・・・。

床はビザンツ時代のモザイク。
真ん中にマリアのサンダルが! ↓↓

《第5留 シモンが十字架を背負う》
マタイによる福音書27章32節
彼らが出ていくと、シモンという名のクレネ人に出会ったので、イエスの十字架を無理に負わせた。

という、聖書の記述に基づいています。

《ゴルゴダの丘への道》
丘に行くだけあって、勾配があります。
こんな風に両側は店がぎっしり・・・。

《第6留 ベロニカ教会》
ベロニカとう女性が、イエスの顔を絹のハンカチでぬぐったとされる場所。

《第7留 再びつまづく》
イエスが再びつまづいたとされる場所


ローマ時代の柱が残っています。

ルカによる福音書23章27節〜
イエスは女たちの方に振りむいて言われた。「エルサレムの娘たちよ、私のために泣くな。むしろあなた方自身のため、また自分の子どもたちのために泣くがよい。」

《通りのお店で売っていた野菜》
なすびの一種でしょうかね・・・?

《聖墳墓教会》
いよいよ、聖墳墓教会です。
ここがキリスト教の聖地、ゴルゴダの丘で処刑されたイエスのお墓があったとされる場所に建てられた教会です。
入り口のドアは、各派閥が所有権を争うために、代々アラブ人の家が鍵明け当番をしているそうです。

《第11留 十字架に釘づけに》
ここで、十字架に釘づけにされたと言われている。
ローマ・カトリック小聖堂の祭壇。

《第9留 イエスが三度つまづく≫と《第10留 イエスの服をはぐ》の写真はないです。
9留には行かなかったのと、第10留以降は聖墳墓教会の中なのだけど、あまりに色々盛りだくさんで、写真をたくさん撮ったのだけど、何故か第10留の写真がなかったからです。

《第12留 イエスが息を引き取る》
マタイによる福音書27章46節
そして三時頃に、イエスは大声で叫んだ。「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」と言われた。それは「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか?」という意味である。
(中略)
イエスはもう一度大声で叫んで、ついに息をひきとられた。

ギリシャ正教の祭壇。
写真には撮れなかったけど(人が多くて)、この祭壇の下の岩が十字架が立てられた場所。

《十字架からおろされるイエス》
もはや色々な祭壇やら壁画やらがありすぎて、何がなんだか状態で、結局13留の写真はありませんでした。
地球の歩き方によると、イエスの死を嘆くマリアの小祭壇があったそうです。・・・多分見たはずだけど・・・。
マリアがイエスの亡骸を受け取った場所と言われているそうです。

《イエスの亡骸に香油を塗った場所》
写真では、たまたま人がいなかったのだけど、この1分後には大混雑でした。
みなさん、この石にふれたり、祈ったりしていていました。
私もちょっとふれてみたけど・・・・。・・・・。・・・・。
すみません・・・、不信心な私にはベタベタしてちょっと・・・、うう。

《第14留 イエスの墓》
ヴィア・ドロローサの終点
イエスが墓に納められた場所と言われています。
ここがキリスト教の聖地中の聖地というわけです。
ただし、ここではなく別の場所がゴルゴダの丘だと主張する宗派もあるそうです。
そりゃまぁ・・、だれも見た人はいないんだし確かなことはわかりませんが。

《イエスの墓》
中に入るために、行列ができていました。
並ぶ時間はなかったので、中はどんな風なのかは謎です。
この写真だけは携帯で撮った写真です。
ちょっと色が美しくない・・・。
テンション・マックスで、天井とか壁とか床とか色々写真を撮りまくったのに、何故か正面からまともに撮った写真がなかったという・・・。
メール添付用に撮っといてよかったぁ。

《イエスの墓の反対側》
コプトの祭壇だそうです。
正面から写真を撮ろうとした人が注意されていたので、ずらして撮ってみました。

コプトといのは、まったく馴染みがなかったですが、エジプトのキリスト教の宗派らしいです。
日本では、プロテスタントとローマ・カトリックが主流?で、多分他にも色々あるんでしょうが、あまり知らなかったのですが、エルサレムで一番多いのはギリシャ正教だそうです。
あと、アルメニア正教とか。アルメニア人がいっぱい住んでいるので。

《聖墳墓教会入り口》
正面をひきで撮ってみました。
でも全体像はまったく入りません。前の道は狭いし。
お墓のあったドームの屋根は、オリーブ山とかに上らないと見えないようです。

《城壁の外からダビデの塔を望む》
旧市街は、今も城壁に囲まれた街です。
中に入るには、8つの門(実質は7つ)の門を通らないと入れません。
(通れない門は、黄金門といって閉ざされた門でした。扉があかないのではなく、ぬり込められた感じ。
救世主がここから入ってくる、と言われている門。

小さな街の中に、宗教的にも政治的にも複雑な事情をかかえた街でしたが、見かけ上は至って平穏で、急ぎ足のエルサレム見学は無事終了となりました。
次は、エルサレムから離れ、イエス生誕の地、ベツレヘムに行きます。

++++++++++++++++++++++++++++

次へ


■合唱団に関するお問い合わせは、こちらにどうぞ・・・

HOMEにもどる